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2009年3月

2009/03/31

カイロプラクティス (3) 涙の治療

「あ゛あ゛あ゛~」だの
「いっ(たい)」だの
「ん゛!」だの
堪えていてもつい出てしまう。

首や肩の筋、背骨の両側に沿って走っている筋の凝り固まりをマッサージしてくれたり、体をねじって背骨や首の骨をポキッと調整したり、とにかく治療中は痛くて、我慢しても声が出てしまう。

「うるさくてすみません。」sweat01

「大丈夫ですよ。」

だってほんっとに痛いんだもん。


「はい、今度は仰向けになってください。」

「は、はい。」

返事はしても体がさっさと動かなーい。動かせなーい。

「ゆっくりでいいですよ。」

「はい、すみません。」

顔を上げると、顔の部分に置かれている巨大あぶらとり紙のような紙に、目の部分だけ涙の跡。苦笑。
人ってどこか痛いとなぜ涙が出るんだろう。

仰向けになって背中から腰にかけてのあたりをねじって背骨をポキッと矯正する。

「はい、反対側」

「あ゛あ゛あ゛~、先生、い、痛いです、ここ、あ゛~、う、動けません、う、う・ご・け...」

「どれどれ」

痛いところを必死で「ここ、ここ」と指差していると、先生がその一体を揉みながら

「あ、これは転んだときのケガがもとで、筋肉がいま痙攣してますね。」

と言ってグイグイマッサージしてくれたら、スーッと痛みがなくなった。

マジシャン!思わず尊敬してしまう。

そんなマジシャンの手を見ると、女性の華奢な体には似ても似つかないがっちりした男性のような手だった。

天性なのかな、それともこういう仕事をしているうちにある程度変わったのかな。どちらにしてもこの職業にはあまりにもぴったりの手。かっこいい。魔法の手。

「大丈夫ですか。」
「はい、もうちょっと頑張って!」
「はい、こんな感じ。」
などと色々と声をかけてくれながら治療してくれる。

痛がっていても力を緩めてくれるときと、緩めないでがんがん治療を続けるときがある。
先生の治療は状況に応じてメリハリがある。

怪我をした辺りを、ステンレススティールのヘラのような平たい棒のようなものでゴリゴリ擦られる。部分的に赤くなり、そこは顔が歪むくらい痛い。
「ほら、この赤いのはScar tissue(痛んでいる細胞)。」

「っはー。」感心

「怪我してる部分は痛いけど、そうでないところは同じ力でこすっても、ほら、痛くないし赤くならないでしょ?」

「はい。痛くないです。でもこのscar tissueを浮き上がらせてどうなるのですか?」

「これは分解しているの。それが血管の中に入っていくんです。」

そうか、排出されたり浄化されたりするのか。

あの手この手で治療してくれる。


痛いけど、治療の後は気持ち良い。マッサージも痛気持ち良い。
だから治療は痛くても楽しみ。
友達のミナちゃんが既に1年も通院しているけれど、週日は仕事前とか週末とかも頑張って根気強く通っている訳がよく分かる。

「はい、それではこれから毎日首と腰と手首を1日5回、毎回10分ずつicingして冷やしてください。」

「はい。先生、どういうときに冷やしてどういうときに温めるんですか?」

「基本的には筋肉や筋は温めて、背骨や頚椎は冷やします。炎症を起こしているところは冷やします。愛子さんの場合は体が冷えない程度に頑張って部位を冷やしてください。」

はあ、なるほど。

「はい、今日はこのくらいにしましょう。できれば3日後にきてください。お大事に。」

「ありがとうございました。」


受付のマウロさんにアポを取ってもらって帰った。体が軽い!
先生すごいな。

つづく...

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カイロプラクティス (2) いよいよ治療開始

「ハイ、コンバンワ。How are you? Please fill this out, everytime you come in.(毎回こちらの用紙に記入してください。)」

カイロプラクティスのオフィスに入ると、元気よく先生の御主人のマウロさんが受付で迎えてくれた。英語にも日本語にも訛りがある。

受付のカウンターに置いてあった用紙には前kからと後からの全身の人の絵が描いてあり、自分が痛いと感じる体の部位のところを絵に印をつけて、その痛みの度合いや前回から比べると痛みはどうなっているか、前回の治療から新しく怪我していたらその説明など、事細かに書き込む欄がある。pencil

ひゃ、めんどくさ。wobbly
でもさすが徹底してる。なるほどなのだ。confident

ちょうど(!)治療初日の前日、アイススケートで転倒して左手首を痛めたばかりだった。かなり痛い。洋服を着るのも一苦労。何をするにも痛くて悲鳴をあげる。

マウロさんに奥に通されて、台の上にうつ伏せに寝かされ、低周波電気治療機に繋がれて、腰と手首にピリピリと軽く電気が送られてくる。腰には、今まで高温のお湯に浸かっていたゴム製のなにか大きいひらぺったいものを置かれた。

ふぇ~、超気持ちいい。lovely
よだれ出そう。

手首は冷やされた。これも気持ちいい。

「15分間頑張ってください。」

頑張る?耐える必要はないし、逆に15分で終わっちゃうの?ってなもんだった。

そして案の定あっと言う間に15分が終わって次の治療の部屋に通された。


間もなくサバサバ先生が元気よく入室されて挨拶を交わし、レントゲンの内容と今の状態、これからの治療は4段階のフェーズで治療し、それぞれに4~6週間かかるので、全体で6ヶ月くらいで治療完了予定で、その後微調整で半年毎の来院になること、始めの2、3ヶ月は週2、できれば3回のペースで通院して欲しいといった説明があった。

最低でも1年かかると思っていたのでちょっと安心したけど、週1回くらいかなと思っていた分2、3回はがっかり。

だって毎回2,500円もするんだもん。ってことは月30,000円...
はぁぁdown
始めは3,000円と言われたけど、値切って2,500円にしてもらえた。rock
どこから捻出しようか。外食は極力減らすことになるなぁ。
でも放っておいて、手術したり薬を常用するようになるよりはマシ。

腹を据えて治療の通院を決心した。


「はい、それではうつ伏せになってください。」

顔をつけても良いように、台の頭部には白い薄っぺらい、巨大あぶらとり紙のような紙が置かれている。

いよいよ治療が始まった。

つづく...

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カイロプラクティス (1) 初診

緊張感を和らげよう運動の他に、自分を大切にしよう運動も始めた。

私は10年以上も前から頚椎を患っている。

頚椎は、本来なら緩やかな湾曲を描いていなければいけないところがまっすぐになっていて、その部分の神経が圧迫されることによって腕に痺れがきたり、周辺の首、頭部、肩その他の筋肉が硬直してしまう。そうすると色々な動作が痛みで制限されて、目の後ろも痛くなるようなひどい頭痛にも悩まされるし、どうも人差し指の感覚もすこし鈍るようで、ピアノを弾いていても均等な力で弾けない、などなど。

過去にカイロプラクターや神経外科医などに見てもらったりしたけれど、一向に治らない。半ば諦めていた。でも最近はその痛みだけではなく背中から腰にかけても来てしまった。


自分を大切にしよう運動を始めたので、思い切ってまた治療を再開することに決めた。このままだときっと、歳をとったときに大変なことになっているもの!

仲良しのミナちゃんが1年ほど前に軽い自動車の接触事故(後ろから追突された)に遭ったのをきっかけに紹介してもらったカイロプラクターの先生から、ずっと治療を受けている。彼女は事故のケガがきっかけで、やはり背骨の悪いところが見つかり、そのまま放っていたら深刻なことになっていたところだったという。

その先生の治療についてよく聞いていたし、特に最近彼女がスケートで転んだときにひどく膝を突いて損傷したのを治療してもらっている話も色々聞いていたので、この先生ならいけそう(治してもらえそう)!と直感のまま、私もこの先生からの治療を始めることに決めた。


先生は多分30代後半くらいの若い日本人女性。イタリア出身の御主人は片言の日本語を話し、事務や治療の手伝いをしていて、夫婦二人三脚でやっている。朝は7時半から夜は9時近く、週末は土曜日もフルで頑張ってらっしゃる。すごいパワー。

初日。
首と背中や腰のれんとげんを様々な角度からバシャバシャ撮られた後、腕を押したり引いたり曲げたり伸ばしたり、首を回したり曲げたり、とにかく色々なことをさせられたり問診もたくさんあった。

「はい、それでは今日撮ったレントゲンをよく調べて、いまの検査の結果をしっかり分析して次回にその説明と治療の内容の説明をします。今日はお疲れ様でした。」

早口で、さばさばっとした口調で動きもきびきびしている。

「はい。有難うございました。」

「お大事に。」
と軽く会釈しながら言ったかと思ったら、あっと言う間にくるりんと音もなく部屋から姿を消した。

うぉ、はや!この先生、前世は忍者だったのかも。

つづく...

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2009/03/30

緊張感が走ったら和らげよう運動

ものごとをすぐに深刻にネガティブにとってイライラが始まってしまう人が多過ぎると思う。
そんなに苛立ってストレス感じる必要ないのにな、って思っちゃうことが意外と多いのよね。

だから私は、そんな嫌な緊張感が走ってしまった時はそれを和らげよう運動をしている。

例えば...

先日の事務所内の会議で。

4月から新しい査定システムを導入することになったので、パソコンの新しいプログラムの使い方も含めた新しいシステムの説明会があった。

サンフランシスコのオフィスが主体となってニューヨークとワシントンDCとの電話会議で、スクリーンにパソコンのプレゼンが映っていてリモート操作している。

自己目標を入力する部分の説明に入った。私は別に何とも感じなかったけれど、説明の仕方が悪かったのか例文が悪かったのか、周囲では数人明らかに「何でここまでさせるのか」と言わんばかりの苛立ちの表情を見せていた。

「緊張感を和らげよう運動」精神がひょいって起きた私は自分のノートに、こう書いた。

「My goal is not to work too hard and to establish a comfortable working environment by decorating my desk area with plants and pictures of my cat.」
(自分の目標は、働きすぎないこと、それからデスク周辺に飼い猫の写真やプラントを飾るなどして心地よい職場環境を作ること)

そして隣やテーブルの向こう側に座っている、苛立っている同僚に見せた。
小さく噴出して笑っている。

成功。


こんな些細なことでも良いの。
少しでも和やかな雰囲気作りに生き甲斐を感じるのです。

他には...

先日姪っ子とふたりでショッピングモールにあるスケートリンクで滑っていた時、ショッピングから戻ってきた姪の母親(私の兄嫁)がリンクの脇に来て姪の美香にジャンプを一通りして見せて、と言っている。

始めの2つは上手く行ったけれど3つ目のジャンプは納得が行かなかったらしい。

母親のもとに戻って、「もうこれ以上したくない」と拒否する姪に対して頑張れと兄嫁が励ましている。

渋々4つ目のジャンプをしたけれど、うまく行かないで転んだ。

いつになく不機嫌になった姪は母親のところにまた戻ってきてもうやりたくないと抗議している。

「あ、そんなこと言う美香ちゃんおかしいな。」
という母親の言葉に更に反発して
「だってぇぇぇぇ!」と両足でぴょんぴょんと飛びながら地団駄を踏んでいる。

いよいよ緊張感が高まってきたその瞬間、さ、どうやって和やかにしようかなって思いながら、氷の上でぴょんぴょん跳ねるのって怖くないのかな、とも思ったので真似してみた。

その瞬間兄嫁も、ちょっと険しい表情になっていた姪も、噴出して笑っていた。


緊張感を和らげる運動って、やっぱりやり甲斐があるもの。

嫌な空気を取り除いて素敵な空気を作るのが私流のスピリチュアルな生き方のひとつ。

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2009/03/29

一歩前進

姪の美香に電話した。

「あ、愛ちゃん。」いつもの元気な声。
「美香ちゃん。元気?」って、朝会ったばかりだけど。
「うん。どうしたの?」
「あのね、美香ちゃんにお礼が言いたくて...」
「あ!受かったの?」 す、するどい! 
「そうなの。美香ちゃんのお蔭で。」
「えー、すごい、すごい!おめでとう愛ちゃん!」 一緒に喜んでくれるのがとても嬉しい。
「有難う。Two foot turnもうまくいったよ。」
「うわぁ、すごい、すごい。」  益々嬉しい。私なんか比じゃない、とってもスケートが上手な美香が感心してくれる。
「これも美香ちゃんのお蔭なの。ありがとうね。」

今日はスケートの試験の日だった。


毎週土曜日、9週間の大人の基礎コースのグループレッスンを受けている。レベルは4段階に分かれている。

レッスンは1時間(30分教わり後半の30分は練習)で、少しずつ新しい項目を教わり、コーチの判断でテストを受けるタイミングが決まる。

3週間目で1つ目のレベルの試験をクリア。
そして7週目の今日で2つ目のレベルをクリア。

今日のテスト項目は全部で7つあったけれど、そのうちの2つが苦手で練習してきていた。


週日はフィギュアスケートを本格的にトレーニングしている様々なレベルの人とホッケーの人が終日リンクを使うので、夜公開しているリンクはなかなかないため、どうしても練習は公開セッションがある週末のみになってしまう。

そして私は日曜日はだいたい姪と一緒に公開セッションで滑っている。
姪は真ん中の円を利用してジャンプやスピンの練習を、私はだいたいぐるぐると滑ったり端のあいているところでコツコツと練習をしている。

たまに練習している私のところにスーっと姪が滑ってきて、ひとことアドバイスをくれる。
このアドバイスがなかなか的を突いていて感心する。そしてとっても助かる。

美香の滑りはとても優雅で、同じ血が流れているのかと不思議になるくらい体の線がとても綺麗だ。美香の母親も食事にとても気遣っている効果もかなり出ている。
性格も明るくて優しくて学校でも随分好かれているらしく、一緒にスケートのトレーニングをしている子らも、彼女からアドバイスを受けるのを喜んでいるという。

そんな10歳の美香は私には天使に見える。


美香はプライベートのレッスンを受けたり自主練習したり週に6日トレーニングしている。次のcompetitionは確か夏。これは絶対観に行きたい。

先週の日曜日も一緒に滑った。
テスト項目の苦手なうちの1つで、後ろ向きに片足でバランスをとりながら直線を滑る。ちゃんとできているか美香にチェックしてもらった。

「できてる、できてる。」 嬉しい。


もう1つの苦手な両足を揃えたままクルっと180度回転するTwo-foot turnというのを練習していた。ターンしたあとも膝を曲げると転び難いし、転んでも体がそれだけアイスの表面に近くなっているから痛くないと教わったことを忘れてしまっていた。
「あのね、ターンのあともこう。」と言いながら膝を曲げている。
「あ、そっか。ありがとう。」
「うん。」

もっとスムーズにできないかな、まだちょっとぎこちないな。などと思いながら練習を重ねていたら、ツーっと滑って来て片足でヒョイッて優雅に止まった美香に
「愛ちゃんできるようになったね。頑張ってるね。」
とっても嬉しい。


****************

今朝のグループレッスンは10時半から1時間だったけれど、テストがあるはずなので、最後のおさらいということで、今朝ばかりは6時15分から45分間のフリーセッションという様々なレベルのフィギュアスケーターのみのセッションで滑った。
土曜日の早朝なので練習に滑りに来ている人が10人くらいと、とても少ないので滑りやすい。

私がスケートをまた始めたきっかけを作ってくれた友人も練習に来ていた。彼女らも週6日、(仕事前も)早朝レッスンでとても頑張っている。
世界レベルで競った後、様々なcompetitionで審査員をしていたという、今は70代前半(?)のロシア出身のカプロフ先生も、恐れ多くも私にひとことアドバイスを下さったり、練習に四苦八苦しているときちんとした基礎をいくつか段階を組んで好意で教えてくださる。このコーチの教えは神の声。コーチの言う通りにしていれば、きちんと滑れるようになる。言葉数が非常に少ないけれど的確。


そしてその直後の7時からのセッションに美香が父親である私の兄に連れて来てもらって練習に来ていた。

7時にアイスから上がってスケート靴を脱いでいると向こうから美香の姿発見。

「あ!愛ちゃん。」 ハグしてきた。
天使の美香にハグしてもらうと充電してもらってる気分になる。

「今日の10時半からのレッスンでテストがあるかも知れないの。」
「うわぁ、そうなんだ。」 両肩をすくめて、あら大変、と言わんばかりの表情。かわいい。
「うん、だから今朝ちょっとおさらいで練習したの。美香ちゃんにも教わったからできるようになったし。」
「うん、頑張ってね。」

一旦家に帰って猫に餌を上げて、自分もしっかり朝食を食べてから、またリンクに戻ってレッスンを受けた。グループレッスンで同じレベルの人は私を入れて4人だけれど、今日は2人しか来ていなかった。レッスンの後半にあったテストにも無事合格してレベル3の人に仲間入り。レベル3はこれで3人、レベル4は2人だ。同じリンクの場所で同じコーチからレッスンを受けているレベル3と4の人たちもhigh fiveで一緒に喜んでくれた。

これで一歩前進。
そうだ!次回カプロフ先生にお会いしたら合格したこと報告しなくっちゃ。


来週は最後のレッスン。そして来月の半ばからまた新しく9週間コースが始まる。

う~ん、楽しみぃ!

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2009/03/27

フィギュアスケート レッスン

小学生の頃、よくフィギュアスケートをしに行った。
フォワードのクロス、簡単なスピン、膝を抱えて滑ったり、両足を揃えてのホッケーストップ、色々なことが容易にできていた。でもバックのクロスはできなかったし、フォワードのクロスも反時計回りの片方だけ。

13歳に渡米し、久しぶり(1年半くらい?)に自分のスケート靴で滑ったら、まったく滑れなくなっていた。
クロスをしてもエッジが効かなくてツルンと転んでしまう。
スケートに連れて行ってくれたおじさんがその場でブレードを研いでくれたけどだめだった。それ以来やめてしまった。

2000年の冬、どうしてもまた滑りたい虫が起き出してスケート靴をこしらえた。
1、2回レッスンを受けたけれど、自転車のように感覚がすぐ戻ってくるものでなかった。

そうこうしているうちに日本に暫く帰ることになったのでまたスケートをやめた。

2004年にアメリカに戻り、2年後の2006年、またスケートを始めたけれど、氷の表面に変なbumpがあってブレードが引っかかって転倒。後頭部をひどく打って鞭打ちになりまたやめた。

でもまた去年の夏頃、どうしても滑りたい虫がうずうずしていたところ、秋頃に私と同年代のスケートを週に6日練習しているという女性二人をたまたま共通の友達から紹介されてお食事を一緒にしたことがきっかけで、年の暮れには再び氷の上を滑っていた。

やっぱり楽しい。とっても楽しい。

氷の上をツーっと滑るあの感覚。
冷たい心地よい風。
シャーといってブレードが氷の表面を削る音。
スリルあるスピード感。


くるくるりんってある程度自由自在に滑れるようになりたい。

バックでクロスができるようになっていれば、相当色々なことが出来ているだろうから、そのくらいまでレッスンを受けよう。バックのクロスが目標!

というわけで9週間コースの週1回のグループレッスンを受け始めたのが2月の始め。あっと言う間にあと2回で終わり。はや!

子供の頃は転んでも痛くなかったから、色々なことに挑戦したしすぐに体が覚えてくれた。
今は臆病になって、なかなか新しいことに果敢に挑戦する勇気がない。
でもレッスンは楽しくて、与えられた課題は取り敢えず全部こなせている。
新しいことが一つできるようになる度にとってもとっても嬉しい。

コーチもやさしいしね!
若干22歳の黒人のえくぼがとってもキュートな男性。
9歳の頃から滑っているという。
とてもフォームが綺麗。
バランス感覚が良いって褒められちゃったもんねぇ。うふ。


そして、もうすぐバックのクロスができそうになっている。計算違いでバックのクロスはそれほど難しいものではなかった。

だから、
だから、
だから4月半ばからまた始まる新しい9週間コースのグループレッスンに申し込んじゃった。

た・の・し・み、た・の・し・み!!

最近ナターシャ・リチャードソンさんが頭部強打のスキー事故で亡くなったけれど、今から考えると、私ももしかしたら2年前の転倒であの世に行っていてもおかしくなかったかも知れない。でもそんなことを心配していたら何もできなくなる。人間誰でも死ぬときは死ぬ、大丈夫なときは大丈夫なのよ。


スケート、頑張るぞ!オー!

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2009/03/25

ブライアン L. ワイス先生の退行催眠ワークショップ (2)

ワイス先生が開催者から紹介されてステージの上に登場した。拍手の嵐。みな背筋を伸ばして頭を左右に動かして先生の姿を確認している。

私たちは12列目(後方2列目)。先生の表情とかはよく見れない。カジュアルな明るい色のワイシャツにチノパン。

「皆さん、おはようございます。今日は週末の貴重な時間を遣ってわざわざこのワークショップにいらして頂いたことを心から感謝致します。イタリヤやニュージーランドなど世界の様々な国からもいらして頂いていると聞いています。本当に有難うございます。中には奥さんやガールフレンドに引きずられていらしている方もいるようですね。有難うございます。」

とても喋りなれたゆったりとした雰囲気で言葉遣いが丁寧で綺麗で心地よい物腰の先生のお話が始まった。

あぁあ、やっぱり先生の顔の表情どころか姿もしっかり見えないな。でもいいっか。マイクの音量も良いし、先生の声や喋り方はとても聞きやすいし、催眠とかは目を瞑るわけだし...。

「今日のワークショップは大勢の方なので私の姿がよく見えない人がいると思いますが、...」

お!見えなくても大丈夫って言ってくれるのかな?

「...大丈夫です。グループ催眠を行うときは目を閉じるわけですし、声が聞こえていれば十分ですから。」

やっぱりね。うん、良かった、良かった。


ソニアのワークショップでもそうだったけれど、ふと自分で何か考えついたり思いつくと、その通りのコメントがスピーカーから話されることがよくある。
ソニアのときは、「これから○○というエクセサイズをしてみます。このエクセサイズによって波長を高めてどーのこーの」と話しているときに、「あ、これはきっと姿勢を正して両足を組まないで床につけてまず深呼吸しようか。」と思いつきその通りのことをしている最中にソニアが「それでは椅子にまっすぐに腰掛けて姿勢を正して...」と、まったく自分が今行った通りのことを指示してきた。
こんなことが1日の中で何度もあったことを思い出した。そしてワイス先生のワークショップでも3、4回そんなことがあったので、直感が鋭くなってきているのではないかと嬉しくなった。

退行催眠は、以前ワイス先生から直接セミナーを何度も受けたという催眠の資格を取得している巷では少し名の知れた日本人女性から、グループや個人で合計3回受けたこともあるし、ワイス先生のCDを何度も聴いているけれど、一度も前世に戻れた試しがない。やはり今回も!私は前世に戻れなかった。でも催眠状態には完全に入っていた。

今回も戻れなかったけれど、先生は練習あるのみ、焦らずに、と何度も繰り返し強調されていたので以前のように撃沈した気分ではないのがちょっと成長した部分かな。へへへ。

1回目は午前中に行われた。時間にしてどのくらいだっただろうか。40分?覚えていないけれど途中で眠気で意識がやや朦朧とした感じで最後まで寝なくて済んだ。前進の筋肉をリラックスさせ、ガーデンで寛いでいる光景を思い浮かばせられた後、幼少の頃のある出来事を、風景、感触、匂い、感情など細かい部分まで思い出すよう誘導された。7歳くらいに木登りや小さい穴に入って遊んだ、心配も何もない無邪気で純真だったときのことを思い出した。

「さあ、それでは五万とある思い出の中から、今ここでその思い出を思い出したのには意味があるのです。その意味が何であるのか自分に問いかけてください。自分の潜在意識には偉大なる自分がきちんと存在しているのです。その自分に問いかけてみてください。」

そう言われて思い浮かんだのは、今起こっている身の回りの心配事は、心配事として思う必要はないことだった。
私の幼少時代は至って穏やかで、決して裕福と言える環境ではなかったものの、両親からたっぷり愛情をもらって育っていたせいか、何の心配もなく、何の不自由も感じないまま、なんともストレスフリーな生活を送っていたと思う。
例えば自分より裕福または逆にもっと余裕のない友達のお家に呼ばれても、それを羨ましいとか可愛そうなどとはまったく感じることもなかった。
与えられた環境を楽しみ、純真な心ですべてを(評価するのではなく)俯瞰することの大切さに気付いた。

催眠では、更に母体の中にいるときや産まれた瞬間の感触や思いを思い出すように誘導され、更に前世に戻るように誘導された。その人生の年号、性別、人種、着ている服や靴、登場人物、その登場人物は今世では誰に当たるか、などをワイス先生が私たちに問いかけてくる。人によって映像が浮かんできたり、映像はないけれどただ言葉や感覚でなんとなく分かるなど、認識の方法は人によって様々だということは、催眠の前に予め説明があった。そしてその人生での死ぬ間際に誘導され、また死んだ後にその人生の主な学びの課題は何であったかを自分に問いかけるように指示が出た。

そしてやがて催眠が終わり、何人過去世に戻れたか、戻れた中で人種が違ったのは何人か、性別が違ったのは何人か、宗教が違った人は何人かなどの質問に挙手させられた。
実に4割くらいの人が過去世に戻れていた。

「これはなかなか退行できた人数の確率が高いですね。このように、我々は人種や宗教や性別など、姿かたちを変えて何度も生まれ変わってきているのです。それぞれの人生で、人種や宗教等が理由で苦しんで死を遂げたことすらあるのですから、そのような辛さや大変さを魂のレベルでは知っているはずなのです。だから他の人種や宗教、性別、職業などに対して偏見を持つことは、自分の過去に偏見を持つのと同じことで、矛盾しているのです。我々は同じ人間として生まれてきた者同士、お互いを敬い愛すべきなのです。それをすればくだらないいじめやいざこざはもちろんのこと、世界の様々な犯罪や戦争も起きるはずがないのです。世界の様々な地域で様々な社会問題がありますが、それらのすべては私利私欲に基づき、愛や思いやりの心が欠けていることがそもそもの原因だと言っても過言ではないのです。私たちは今、そういうことに気付いて私利私欲を捨て、世界を様々な側面から変えて行かなくてはいけない時期を迎えているのです。」

穏やかな物腰にも篤さを感じた。

この大切なメッセージは、このような名声ある立場であるワイス博士だからこそ、このような場で一人でも多くの人に広めることができるんだなぁ。これはワイス先生の使命のひとつなんだ。先生だからこそできることなんだなぁ。

思わず感心した。

1時間半のランチ休憩があり、午後も退行催眠があり、これはミナちゃんも私もしっかり睡眠してしまった。^o^;

お互い過去世には戻れなかったけれど、先生の大切なメッセージが聞けたし、とてもリラックスできて穏やかで充実した1日が過ごせた。

そしてふたりとも依然としてワイス先生の催眠CDを聴きながら睡眠に入らない日はない。coldsweats01

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2009/03/14

ブライアン L. ワイス先生の退行催眠ワークショップ (1)

米国の名声あるベテラン精神科医、ブライアンL.ワイス博士の退行催眠 1 Day(10am~5pm) Workshopに仲良しのミナちゃんと参加してきた。

会場はグランド・セントラル・ステーションに隣接するグランド・ハイヤット・ホテルの大広間だったけれど、実に800人以上の参加者が集まった。その中には日本人も私が認識しているだけでも11人はいたので、実際はその倍いたとしてもおかしくないと思う。イタリアやニュージーランドからも来ていたという。とにかくすごい人気。

ワイス博士はとっても温厚でゆったりと静かな物腰だけれど、説得性もあるしユーモアに富んでいて、何よりも愛に満ちたカリスマ性で会場全員の心を捕らえていた。すごい。


*****************

ワイス博士によると、我々は皆永遠不滅の魂であり、身体に宿っては生まれ、死んで身体から抜け出しては(魂が)もとの次元に戻って癒され、その人生の反省をして、その人生で学びきれなかったものをカルマとしてまた次に生まれ変わった人生で勉強してクリアして行く仕組みとなっていて、それを繰り返し続けながら向上し、神様に近づいているという。

そしてだいたい毎回親しい関係の者同士がグループで繰り返し生まれ変わっていて、前世では親子だったが今世では逆の立場、または友人、夫婦、といったように関係が同じだったり異なったり性別も同じだったり異なったりするという。そしてお互いの立場や気持ちが次の人生でも深い関わりを持つという。

例えば前世では親子の関係で自分が子供を大切にする良き母であれば、今世で友人という間柄になったとしてもその相手には自分でも何故か分からないけれど妙に寛大になれるとか相手の心や体の状態が妙に気になるとか。

この辺は「オーラの泉」で江原さんや美輪さんが話すことと一致する。



そして、例えば「信頼」というのが学びの課題だとすれば、様々な人生で様々な角度からその課題について学ぶらしい。例えば前世では信頼される立場だったのが今世では信頼する立場、また今世では裏切る立場であれば来世では裏切られる立場、など。もしくは今世で裏切りの行為をしてしまったとして、改心して傷つけた相手にきちんと報いるとか信頼のおける人間に改まるなどして、その人生できちんと学べばそれは来世にカルマとして繰り越さなくて良い...などなど。



で、ミナちゃんと私は、関係はどうであったかわからないけど絶対過去世で深いつながりがあるよね、とよく話す。もしかしたら恋人とか夫婦とかだったらおかしいね、なんて冗談話もよくする。

そんなある日、ミナちゃんと私は男性ふたりと4人でダブルデートしたときに、相手のふたりが「僕たちはゲイなんだ」、とふざけるもんだから私たちは「私たちはレズなんだ」、と返した経緯もあって、ミナちゃんと私の仲では前世がパートナー、今世もレズ説(あくまでも冗談!)が前にも増してよく笑いあっている。


今回のセミナーはふたりともとっても楽しみでわくわくだった。

ふたりともワイス先生の催眠CDを予めゲットしてiPodで聴いて練習を重ねてきていた。退行催眠で戻れたとしたら、容姿は違っていても、顔、特に目をよく見ればその人が今世では誰にあたるのかが分かると言う。ので、お互いに戻れたときには報告し合うことになっている。でもふたりとも練習の甲斐なく前世には戻れていない。


CDを聴いている最中寝ちゃってそのまま爆睡してしまうことがふたりとも多い。だから、今回はふたりとも折角のセミナーだから寝ちゃったらもったいないから前の晩はしっかり睡眠を摂ること、それまでに風邪をひいたりしない様に無理をせず体調を整えておくこと、CDで練習すること、など準備万端で臨もう!オーッ!!と誓い合っていた。


****************

セミナー前夜、ミナちゃんから携帯にメールが入ってきた。

「愛子さん、じゃあ予定通り明日は朝8時に私の家を出るときに電話します。それから今夜の夜中から夏時間が始まるから1時間進めるのを忘れずに!」

「うん、有難う!楽しみだね。」



そして当日。どんより曇り空。cloud
8時過ぎに鳴った電話の向こうには眠たそうなミナちゃんの声。
「すみません、ちょっと遅れて。今出ます。また後で電話します。」

「了解。じゃあね。」

ミナちゃんと私は同じ路線のバスで、ミナちゃんのバス停から私のバス停は4つ目。そして予定通り、同じバスに乗れるようにミナちゃんからどのバスに乗ったかまた連絡が入り、難なく乗ったバス。
日曜日の早朝だというのに結構乗客がいて、ミナちゃんは後方に座って外をぼんやり眺めていた。

あれ?外眺めてるまんまだ。いつものミナちゃんだったら「あ!ここです!」と言わんばかりに愛想良く手を振ってくれるくらいのものなのに。きっと寝不足で疲れてるな。という私も実は完全に寝不足で死んでる。

「おはよ。」

「あ゛、おはようございます。すみません、もう眠たくてぼんやりして窓の外見てました。やられましたよ、夏時間。」sweat01

「私もやられた。完全寝不足。今回の1時間ロスはきついよね。」despair

「うん、きつ~い。準備万端のはずだったのにぃ。」

「だよねぇ。あれだけ散々ふたりで気合入れてたのにね~。じゃ、とりあえず着くまで寝ましょう。」sleepy


そしてマンハッタンに着き、マックで朝食を食べた。
なんと宇多田ひかるのミュージックビデオが流れていたのでたまげた!
暫くその話題の会話が続いた後、また夏時間になったための失態を嘆き、爆睡しないように頑張らなければと励ましあった。

「それにしても、今日もしお互いかどちらか前世に戻れたら最高だよね。」rock

「愛子さんどうします?もし前世で私たちが恋愛関係にあったら。」

「きゃぁん、どうする?もしその気持ちが蘇えっちゃったりして、私たち本当にレズになっちゃったら!」smile

「わああ、どうしようー!今日を境に私たち人生変わっちゃう!!」happy01

などとふたりでうけまくって大笑いしていた。


そして開演20分前くらいに会場に着いた。

「うっわー、すごい人!もう後ろの席しか空いてない!それもちらほら。」

改めてワイス先生の人気を思い知らされた一瞬だった。

思い起こせばワイス先生の存在を始めて知ったのは10年くらい前。
10年越しでお目に掛かれるか。
始めはまさか先生のセミナーに参加できるなんて想像もつかなかったな。

そしていよいよワイス先生登場の時が来た。shine

つづく

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2009/03/13

ブライアン L. ワイス博士

ブライアン L. ワイス博士とは、名声ある米国のベテラン精神科医で、医療分野以外での処女作、"Many Lives, Many Masters"(和訳は「前世療法 I」)の他数冊の著者でもあり、現在世界中で退行催眠に関するセミナーで飛び回っている。



催眠なんて不可解に聞こえるかもしれないけれど、私たちは皆必ず経験しているもの。
テレビを観たり本を読んだり夢中になって、周りの雑音がまったく耳に入っていない状態が催眠状態ということだそうだ。

レモンを齧ったり、梅干を食べている状況を鮮明に思い浮かべて酸っぱいものを食べているときのように顔の表情が歪んでいたり唾液が出たら、もうそれは一種の催眠状態である証拠、ということだそうだ。

催眠は、施行されている本人の意思が優位なので、掛かりたくなければ自分の意思で拒否すれば良いだけのことだから、例えば催眠で犯罪を犯させることができるというのは嘘だ、というのもよく分かる。

患者さんの治療法として催眠術を用いることは極めて幅広く行われているそうで、催眠をかけてトラウマとなった原因の出来事まで記憶を辿らせて思い出させることによって、精神的な病気が治るという。どういうメカニズムなのかしら。

ワイス博士が1980年に治療を始めた、ある極めて重病の患者さんに、2年の治療の甲斐もなく回復の兆しが全く見られない中、本人の同意を得てやっと催眠治療を始めることになる。ある日催眠治療を行っている最中にその患者さんが前世にまで遡ってしまうのだ。

医師であり科学者でもあるワイス博士は、データや統計で裏付ける根拠がない、理路整然とした証拠のない前世の存在を信じることは当時有り得なく、始めは患者の幻覚か単なる空想なのではないかと、まったく前世の存在の事実を受け入れることができなかったという。

でも後々催眠中の前世の時代を描写する内容の正確さや、本人の今世の知識からは到底分かるはずもないことが語られることなどから、いよいよ過去世の存在を完全否定できなくなってくるのだ。しかも前世退行催眠の結果、その患者さんが徐々に回復していったのは明らかで、好奇心旺盛なワイス博士はその治療法を続け、過去の類似した経験が記されている書物を読み漁って研究したという。

彼の医療分野以外の処女作、"Many Lives, Many Masters"(和訳は「前世療法 I」)には、その一切合切が記されている。

私がこの本を友達に紹介されて初めて読んだのが日本に一時帰国していた10年ほど前だった。和訳を読み、次に原作を読み、それから和訳になっているものやいないものなどワイス博士の著書を3、4冊読んだ。

私がスピリチュアルなことに本格的に興味を持ち始めたのもワイス博士のこの本がきっかけだった。

2004年にNYに戻ってきてからも、ときどき博士の名をウェブや会話で見聞きしていた。
そして私が毎日通勤するマンハッタンや、車で2時間ほど北上したところにある、昨年参加したソニア・ショケットさんのセミナーが行われたNYのオメガ・インスティチュートという自然一杯の素敵な施設などNY近辺でも、彼のセミナーが過去に何度も開催されていることも知った。

彼のセミナーは今後も何度もあると知っていたし、既に彼からも学んだと言う、催眠資格を持つNY在住の日本人女性からも退行催眠を受けたことがあるので、彼のセミナーにはいつか参加することになるだろうな、くらいの気持ちでいた。



そして数ヶ月前、2009年3月にマンハッタンで開催される彼の1Day Workshopのお知らせが、あるウェブサイトに載っているのを見て、参加費用も早期申し込みであれば$100と安かったのもあり、直感的に「これに参加だな」と思って申し込んだ。仲良しのミナちゃんを誘ったら彼女も一緒に参加することになった。

そして先週末、ミナちゃんと私はいよいよ生ワイス博士に会った、というか見た、というかセミナーを受けた。


つづく

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